2011年09月30日 「けんか」
24日のダッチオーブンは鶏ガラでスープを取った本格ラーメンでした♪材料を放り込んでほったらかしにしてただけですが、うまかったです!!次は何をつくろうかな〜☆
今日は「けんか」について、僕なりに思うところを書いてみようと思います。実は、ブライアンにブログを書くように勧められてから、「けんか」についてはずっと書こうと思っていました。いつかそのうちに、絶対に書こうと決めていたことです。
思えば僕が初めてプレパにやってきたのは去年のちょうど今頃。初めてプレパでみんなと遊んだその日に、ある男の子とけんかをしたことをとても印象強く覚えています。今考えても、あのときどうすべきだったのか分からないし、答えが出る気もしません。とにかく、その子とのけんかは僕にとってとても印象的で、と〜っても大事な思い出です。そのときのことは、未だにプレパで起きたけんかを思い出したり、反省する度に、思い出したりもします。
初めてのプレパでいきなりけんかをしたものだから、僕の中で「けんか」は一つのテーマみたいなものになっています。ちょっと偉そうな口調になってしまうかもしれませんが、僕がプレーワーカーとしてどのようにこどもたちのけんかに関わっていこうと思っているのか、そんな信念みたいなものを今日は書きます。
僕がプレパで大事にしようと思っていること。それは単純で、「気持ちを大事にすること」です。
まずは自分の気持ち。自分が今どんな気持ちでいるのか、また、家に帰ってから、あのときどんな気持ちだったか。自分の気持ちを考えて、それに気付く。でも実はこれ、とっても難しいことだって僕は思います。気持ちって、とっても抽象的で、ふわふわしていて、掴み所がなくて、でもそんなものを僕は大事にしたいなって思うんです。
自分の気持ちに気付くことができなければ、他人の気持ちを考えるなんて無理です。自分が泣いているとき、とっても悲しい自分の気持ちに気付くことができてこそ、泣いている人を見て悲しいだろうなって、思いやりの心がわくんだと思うんです。ひとに優しくされて、うれしい気持ちになることができてはじめて、ひとに優しくなれるんだと、僕はそう思うんです。もしくは、つらい思いをよく知る子ほど、ひとに優しくしてあげられたり、するんじゃないかって思うんです。
だから、けんかのときは、お互いの気持ちを聞きたいなって思ってます。どっちが正しいとか、暴力をふるった子をまず叱るとか、そういうことはしたくないって思っています。もちろん、暴力はよくないよってことを大人として伝えるべきだとも思うんですが、まずはこどもの気持ちをくみ取ることに努めたいって思うんです。暴力をふるった子は、なぜそんなに怒ったのか。それが聞き出せたら、相手の子にそれを聞いた今の気持ちを聞いて、もしくは、2人の話を聞いていた僕の気持ちを話して。そうやってみんなの気持ちを言い合う中で自然に「ごめん」って言葉が出てくれば素晴らしいなって思うし、出てこなくても、無理に謝らせる必要はないんじゃないかって思うんです。
いやいや、人として謝れない子はだめじゃないか!ちゃんと躾けないといかんだろう。って声ももちろんあるでしょう。もちろん、謝ることはとても大切です。僕も、大切じゃないと言っているわけではないんですが、優先順位はお互いの気持ちを聞く、もしくは感じる、もしくは想像することが先だって思うんです。けんかはその日のうちに解決しなくてもいいと思っているし、後ろめたい気持ちや、友達との間の気まずい空気を感じることも、とってもとっても大事だって思います。極端な話、ある友達と一生けんかしている状態になったとしても、その後ろめたさや後味の悪さによって、他の人たちとの付き合い方をよくよく考えるようになるのなら、それでもいいんじゃないかっても思ってます。
遊んでいる横でけんかが始まっても、特に危ないと思うことがなければとりあえずほったらかしにします。「おい、ショーユー止めたれよ!」って言われて、「そう思うならお前が止めたらええがな。」と言って、自分の遊びにもどるときもありました。一応、僕も気にはしているんですけど、僕の出番は、もうちょっと後の、お互いが落ち着いてからやって思っています。なんなら、その今の、怒れて怒れてしゃあない気持ちを、しっかり覚えていてほしいから、もうちょっとけんかしててくれてもいいよって、思ってたりもします。
金子みすゞさんの詩に、「土と草」というのがあります。僕の大好きな詩のひとつです。
土と草
母さん知らぬ
草の子を、
なん千万の
草の子を、
土はひとりで
育てます。
草があおあお
茂ったら、
土はかくれて
しまうのに。
「ごめん」と言うことができる子の、「ごめん」という芽に目が行きがちですが、その芽の下には土があるはずです。けんかをしたときの悔しい気持ち、悲しい気持ち、怒れる気持ち、相手への気まずい気持ち、た〜っくさんの気持ちや経験が肥やしとなって、そうして肥えた土に芽は育つんだって、僕は思うんです。「草があおあお茂ったら、土はかくれてしまう」けど、あおあお茂るその草を支えるのは土です。痩せた土地に無理矢理たくさんの芽を植えても、結局芽は枯れると思うんです。肥えた土地であれば、時期が来ればどこからか種が飛んできて、そして芽がいっぱい生えてきて、たくさんの芽に栄養が行っても枯れることのない土ならば、緑があおあお茂る豊かな土地になる。そんなふうに思います。枯れて腐って、なんにも成果が残らないように思えることが、時間を経て肥やしになって、豊かな土になるって思うんです。
僕たち大人は、自分や他人の生い茂る草を見て、こどもたちにもこんなふうに草を生やしてやりたい。って、思います。でも、草の下に土があることを忘れがちではないでしょうか。
こどもの頃の自分の気持ちを思い出すことができずに、こどものことを理解することはできない。
これは、プレーリーダーの第一人者である天野秀昭さんの言葉です。こどもを理解するためのカギは、幼き自分の体験や気持ちを思い出すところにある、僕はそう解釈しています。他人を理解するにはまず、自分自身を奥底から理解する必要がある、そうも言えるかもしれません。
いやいや、とても抽象的な話になってしまいました。そして、これはあくまでも僕の理想論。実際なかなか上手くいきません。気持ちを聞いても言えないことがあります。「そらそうやんな、俺も、そんなん聞かれても分からんわ」って思います。けど、今言えなくても、家でまた自分の気持ちを考えてほしいって、大事にしてほしいってことを伝えます。あとはもう、その子たちが自分の気持ちを考えてくれて、他人のことも思いやれるようになってくれることを願うのみです。僕はむしろ、僕が納得できるだけの言葉を、こどもから無理矢理引き出したくなる自分自信を抑えることに努めます。
また、けんかが不完全燃焼だったりすると、その子たちのところに行って、「さっきどんな気持ちやった?」なぁんて聞くような空気はどこにもありません。あぁ、せっかくのチャンスが・・・と思いながら、その子たちがなにかしら感じていてくれることを願うのみです。
こんなふうに、結局のところ、理想論は理想論であって、現実とのギャップにモヤモヤします。悩みます。でも、理想があるから、こどもたちへの願いがあって、それを持ち続けていないと、それを生かすチャンスはふとした瞬間にやってきて、それに気付けないとすぐさまどこかへ行ってしまう気がします。だから、これからも悩みながら、答えの出ないままにヤキモキしてようと思います。
長々と書いてきましたが、「人を叩くことはいけないことやから、叩いたらいけないんだ。」じゃなくて、例えば、「叩いたらきっと相手は痛いし悲しいだろうから、やっぱり人を叩いたらいけないよなぁ。」って、気持ちを理由にものごとを考えられるようになってほしいなって思います。
そして僕は、こどもたちの気持ちを考えながら、自分の気持ちも大切に、感じたことを表現できるプレーワーカーになりたいなって思ってます。
今日はいっぱい脳みそ使いました。。。疲れた(-_-)
今日で9月も終わりです。ほんと、ぼ〜っとしてたらすぐにじいちゃんになってしまうな、こりゃ。日が経つのはなんて早いんだ!ってことは次のプレパもすぐやな!
第2日曜ぐらいには次回のダッチオーブン料理のメニューをブログでアップしようと思います。え?なんのためにかって??それはもちろん、材料の差し入れに期待しているからです(^o^)「×××持って行くよ〜。」というコメント、待ってます♪♪
P.S.「土と草」は、まさに子育ての詩だと思いまさす。いろんな解釈ができて、その度に素敵やなって味わえる詩です。たくさんの人を育てる土としてのプレパ、そんなふうにあれたらなっても思います。今の僕を支えるのは、僕自身気付くことすらないたくさんの人たちのおかげ。そんなふうにも味わえるかもしれません。色んな解釈や味わい方があるはずですが、じっくり味わってみてほしいなぁと、偉そうですが、思います。
ショーユー
今日は「けんか」について、僕なりに思うところを書いてみようと思います。実は、ブライアンにブログを書くように勧められてから、「けんか」についてはずっと書こうと思っていました。いつかそのうちに、絶対に書こうと決めていたことです。
思えば僕が初めてプレパにやってきたのは去年のちょうど今頃。初めてプレパでみんなと遊んだその日に、ある男の子とけんかをしたことをとても印象強く覚えています。今考えても、あのときどうすべきだったのか分からないし、答えが出る気もしません。とにかく、その子とのけんかは僕にとってとても印象的で、と〜っても大事な思い出です。そのときのことは、未だにプレパで起きたけんかを思い出したり、反省する度に、思い出したりもします。
初めてのプレパでいきなりけんかをしたものだから、僕の中で「けんか」は一つのテーマみたいなものになっています。ちょっと偉そうな口調になってしまうかもしれませんが、僕がプレーワーカーとしてどのようにこどもたちのけんかに関わっていこうと思っているのか、そんな信念みたいなものを今日は書きます。
僕がプレパで大事にしようと思っていること。それは単純で、「気持ちを大事にすること」です。
まずは自分の気持ち。自分が今どんな気持ちでいるのか、また、家に帰ってから、あのときどんな気持ちだったか。自分の気持ちを考えて、それに気付く。でも実はこれ、とっても難しいことだって僕は思います。気持ちって、とっても抽象的で、ふわふわしていて、掴み所がなくて、でもそんなものを僕は大事にしたいなって思うんです。
自分の気持ちに気付くことができなければ、他人の気持ちを考えるなんて無理です。自分が泣いているとき、とっても悲しい自分の気持ちに気付くことができてこそ、泣いている人を見て悲しいだろうなって、思いやりの心がわくんだと思うんです。ひとに優しくされて、うれしい気持ちになることができてはじめて、ひとに優しくなれるんだと、僕はそう思うんです。もしくは、つらい思いをよく知る子ほど、ひとに優しくしてあげられたり、するんじゃないかって思うんです。
だから、けんかのときは、お互いの気持ちを聞きたいなって思ってます。どっちが正しいとか、暴力をふるった子をまず叱るとか、そういうことはしたくないって思っています。もちろん、暴力はよくないよってことを大人として伝えるべきだとも思うんですが、まずはこどもの気持ちをくみ取ることに努めたいって思うんです。暴力をふるった子は、なぜそんなに怒ったのか。それが聞き出せたら、相手の子にそれを聞いた今の気持ちを聞いて、もしくは、2人の話を聞いていた僕の気持ちを話して。そうやってみんなの気持ちを言い合う中で自然に「ごめん」って言葉が出てくれば素晴らしいなって思うし、出てこなくても、無理に謝らせる必要はないんじゃないかって思うんです。
いやいや、人として謝れない子はだめじゃないか!ちゃんと躾けないといかんだろう。って声ももちろんあるでしょう。もちろん、謝ることはとても大切です。僕も、大切じゃないと言っているわけではないんですが、優先順位はお互いの気持ちを聞く、もしくは感じる、もしくは想像することが先だって思うんです。けんかはその日のうちに解決しなくてもいいと思っているし、後ろめたい気持ちや、友達との間の気まずい空気を感じることも、とってもとっても大事だって思います。極端な話、ある友達と一生けんかしている状態になったとしても、その後ろめたさや後味の悪さによって、他の人たちとの付き合い方をよくよく考えるようになるのなら、それでもいいんじゃないかっても思ってます。
遊んでいる横でけんかが始まっても、特に危ないと思うことがなければとりあえずほったらかしにします。「おい、ショーユー止めたれよ!」って言われて、「そう思うならお前が止めたらええがな。」と言って、自分の遊びにもどるときもありました。一応、僕も気にはしているんですけど、僕の出番は、もうちょっと後の、お互いが落ち着いてからやって思っています。なんなら、その今の、怒れて怒れてしゃあない気持ちを、しっかり覚えていてほしいから、もうちょっとけんかしててくれてもいいよって、思ってたりもします。
金子みすゞさんの詩に、「土と草」というのがあります。僕の大好きな詩のひとつです。
土と草
母さん知らぬ
草の子を、
なん千万の
草の子を、
土はひとりで
育てます。
草があおあお
茂ったら、
土はかくれて
しまうのに。
「ごめん」と言うことができる子の、「ごめん」という芽に目が行きがちですが、その芽の下には土があるはずです。けんかをしたときの悔しい気持ち、悲しい気持ち、怒れる気持ち、相手への気まずい気持ち、た〜っくさんの気持ちや経験が肥やしとなって、そうして肥えた土に芽は育つんだって、僕は思うんです。「草があおあお茂ったら、土はかくれてしまう」けど、あおあお茂るその草を支えるのは土です。痩せた土地に無理矢理たくさんの芽を植えても、結局芽は枯れると思うんです。肥えた土地であれば、時期が来ればどこからか種が飛んできて、そして芽がいっぱい生えてきて、たくさんの芽に栄養が行っても枯れることのない土ならば、緑があおあお茂る豊かな土地になる。そんなふうに思います。枯れて腐って、なんにも成果が残らないように思えることが、時間を経て肥やしになって、豊かな土になるって思うんです。
僕たち大人は、自分や他人の生い茂る草を見て、こどもたちにもこんなふうに草を生やしてやりたい。って、思います。でも、草の下に土があることを忘れがちではないでしょうか。
こどもの頃の自分の気持ちを思い出すことができずに、こどものことを理解することはできない。
これは、プレーリーダーの第一人者である天野秀昭さんの言葉です。こどもを理解するためのカギは、幼き自分の体験や気持ちを思い出すところにある、僕はそう解釈しています。他人を理解するにはまず、自分自身を奥底から理解する必要がある、そうも言えるかもしれません。
いやいや、とても抽象的な話になってしまいました。そして、これはあくまでも僕の理想論。実際なかなか上手くいきません。気持ちを聞いても言えないことがあります。「そらそうやんな、俺も、そんなん聞かれても分からんわ」って思います。けど、今言えなくても、家でまた自分の気持ちを考えてほしいって、大事にしてほしいってことを伝えます。あとはもう、その子たちが自分の気持ちを考えてくれて、他人のことも思いやれるようになってくれることを願うのみです。僕はむしろ、僕が納得できるだけの言葉を、こどもから無理矢理引き出したくなる自分自信を抑えることに努めます。
また、けんかが不完全燃焼だったりすると、その子たちのところに行って、「さっきどんな気持ちやった?」なぁんて聞くような空気はどこにもありません。あぁ、せっかくのチャンスが・・・と思いながら、その子たちがなにかしら感じていてくれることを願うのみです。
こんなふうに、結局のところ、理想論は理想論であって、現実とのギャップにモヤモヤします。悩みます。でも、理想があるから、こどもたちへの願いがあって、それを持ち続けていないと、それを生かすチャンスはふとした瞬間にやってきて、それに気付けないとすぐさまどこかへ行ってしまう気がします。だから、これからも悩みながら、答えの出ないままにヤキモキしてようと思います。
長々と書いてきましたが、「人を叩くことはいけないことやから、叩いたらいけないんだ。」じゃなくて、例えば、「叩いたらきっと相手は痛いし悲しいだろうから、やっぱり人を叩いたらいけないよなぁ。」って、気持ちを理由にものごとを考えられるようになってほしいなって思います。
そして僕は、こどもたちの気持ちを考えながら、自分の気持ちも大切に、感じたことを表現できるプレーワーカーになりたいなって思ってます。
今日はいっぱい脳みそ使いました。。。疲れた(-_-)
今日で9月も終わりです。ほんと、ぼ〜っとしてたらすぐにじいちゃんになってしまうな、こりゃ。日が経つのはなんて早いんだ!ってことは次のプレパもすぐやな!
第2日曜ぐらいには次回のダッチオーブン料理のメニューをブログでアップしようと思います。え?なんのためにかって??それはもちろん、材料の差し入れに期待しているからです(^o^)「×××持って行くよ〜。」というコメント、待ってます♪♪
P.S.「土と草」は、まさに子育ての詩だと思いまさす。いろんな解釈ができて、その度に素敵やなって味わえる詩です。たくさんの人を育てる土としてのプレパ、そんなふうにあれたらなっても思います。今の僕を支えるのは、僕自身気付くことすらないたくさんの人たちのおかげ。そんなふうにも味わえるかもしれません。色んな解釈や味わい方があるはずですが、じっくり味わってみてほしいなぁと、偉そうですが、思います。
ショーユー
Posted by
八日市に冒険遊び場を作る会
at
19:53
│Comments(
4
) │
ショーユーのshow遊
この記事へのコメント
こんにちは,いのこ山冒険あそびばの福田です。
お久しぶりです!
こういう「親」の立場から離れた世話人さんのいる八日市が羨ましいです。
「親」の立場では,やっぱり
「喧嘩をしない我が子」でないといけない
「殴る子なんて嫌!」
とか,
「あそこの家はちゃんとしつけてない」とか言われるのがすごく怖い
とか,いろんな思いが絡み合って,なかなかそうできないんですよね。
んで,まぁすぐ「ダメ!コラァ!」て言っちゃう。
言いたくもないんだけど,そのうちに母も言うことに慣れてきちゃいます。
昔は,喧嘩して泣いていても,
とりあえず聞いてくれる人がどっかにはいた。
そういう人の存在って,とにかく大事だと思う。
現在子供をまだ育てていない,それでも子供の成長を願って見守る
しょうゆうさんみたいな人の存在が,とても大事だと思います。
今色々悩んでることは,しょうゆうくんの将来にとってだけじゃなくて,
きちんと対応してくれた子たちの未来にもすごくいい影響を残すと思いますよ。
応援してま~~す☆
お久しぶりです!
こういう「親」の立場から離れた世話人さんのいる八日市が羨ましいです。
「親」の立場では,やっぱり
「喧嘩をしない我が子」でないといけない
「殴る子なんて嫌!」
とか,
「あそこの家はちゃんとしつけてない」とか言われるのがすごく怖い
とか,いろんな思いが絡み合って,なかなかそうできないんですよね。
んで,まぁすぐ「ダメ!コラァ!」て言っちゃう。
言いたくもないんだけど,そのうちに母も言うことに慣れてきちゃいます。
昔は,喧嘩して泣いていても,
とりあえず聞いてくれる人がどっかにはいた。
そういう人の存在って,とにかく大事だと思う。
現在子供をまだ育てていない,それでも子供の成長を願って見守る
しょうゆうさんみたいな人の存在が,とても大事だと思います。
今色々悩んでることは,しょうゆうくんの将来にとってだけじゃなくて,
きちんと対応してくれた子たちの未来にもすごくいい影響を残すと思いますよ。
応援してま~~す☆
Posted by ふくだ at 2011年10月08日 13:04
福田さん、お久しぶりです☆
ブログ読んでもらえてたこと、すごくうれしいです!!ありがとうございます。
なりたくない自分に出会ったり、どうしたらいいか分からなかったり、悩みが絶えない遊び場だけど、でもどこかほっこりした瞬間があって、そんな居場所に居られる自分をとても幸せに思っています。
1月28日、29日と、2月25日、26日に、遊び場なんかに関わる人のための連続講座があるのはご存知ですか??
またそこで出会えるといいなぁと思います(^O^)♪
ブログ読んでもらえてたこと、すごくうれしいです!!ありがとうございます。
なりたくない自分に出会ったり、どうしたらいいか分からなかったり、悩みが絶えない遊び場だけど、でもどこかほっこりした瞬間があって、そんな居場所に居られる自分をとても幸せに思っています。
1月28日、29日と、2月25日、26日に、遊び場なんかに関わる人のための連続講座があるのはご存知ですか??
またそこで出会えるといいなぁと思います(^O^)♪
Posted by ショーユー at 2011年10月09日 01:11
こんにちは お久しぶりのまこさんです。
夏ごろ、うちのPCで、この冒険のブログだけがガックンガックンの画面になって、読むのがたいへんでたいへんで・・・
ってな言い訳はさておき、
けんか、ですよね。
ふくださんのコメント見て、わたしも参加。
こどもさんが遊んでいると、「けんか」だけでなく、いろんなことがおこりますよね。
危ないこととか、いわゆる「あかんこと」
八日市にいたときに、うちには子どもはいないのですが、
こどもまみれの毎日を送っていました。
当然いろんなことがおこるわけで、
たとえば、友人の家に遊びにいってて、そこの子が学校の友達を連れてきた、なんてとき。
その友達が勝手にその家の引き出しをあけたり、お菓子食べちらかしたり、帰るとき黙って帰ろうとしたり、
そういうとき「おせっかい」と思いつつも注意してしまうのです。
ある時、その家のお母さんが、
「わが子がからんでいるだけに、注意しにくいんだけど、まこさんが言ってくれて助かる」とおっしゃったのです。
親も一緒に遊んでる時はなおさら、怒りどころが違うだけに、言いにくいことも多いけど、わたしは全く子どもがからんでいないだけに、あとくされなくサラリといくようです。
また、キッズチャレンジの引率のとき、出発のバスの到着が遅れ、子どもたちが少し待つのに騒いでいた時があったのです。
いきなり、隣接した家の窓が開いて
「コラー!どこで騒いでるんやー!!」と怒られました。
当然です。早朝、住宅地の中でした。
同じく引率に来ていた夫が、
「久しぶりにあんなおっちゃん見たな、昔はあんなおっちゃん、ようけおったな」
と言いました。
けんか、からずいぶん離れてしまいましたが、
第三者の介入(おおげさ)って、必要かな、と思います。「見守り」って言ったほうがいいかな。
むかしは、そんなおっちゃんがいたから、
しぜんに。危険や不審者からも守られ、あらそいもほどほどに終わってたんじゃないかなと、思うのです。
自分は関係ないと知らん顔する大人、自分だけよかったらいいと思う気持ち、
ちょっと考えたいな、と思います。
話それすぎ!すまんです。
夏ごろ、うちのPCで、この冒険のブログだけがガックンガックンの画面になって、読むのがたいへんでたいへんで・・・
ってな言い訳はさておき、
けんか、ですよね。
ふくださんのコメント見て、わたしも参加。
こどもさんが遊んでいると、「けんか」だけでなく、いろんなことがおこりますよね。
危ないこととか、いわゆる「あかんこと」
八日市にいたときに、うちには子どもはいないのですが、
こどもまみれの毎日を送っていました。
当然いろんなことがおこるわけで、
たとえば、友人の家に遊びにいってて、そこの子が学校の友達を連れてきた、なんてとき。
その友達が勝手にその家の引き出しをあけたり、お菓子食べちらかしたり、帰るとき黙って帰ろうとしたり、
そういうとき「おせっかい」と思いつつも注意してしまうのです。
ある時、その家のお母さんが、
「わが子がからんでいるだけに、注意しにくいんだけど、まこさんが言ってくれて助かる」とおっしゃったのです。
親も一緒に遊んでる時はなおさら、怒りどころが違うだけに、言いにくいことも多いけど、わたしは全く子どもがからんでいないだけに、あとくされなくサラリといくようです。
また、キッズチャレンジの引率のとき、出発のバスの到着が遅れ、子どもたちが少し待つのに騒いでいた時があったのです。
いきなり、隣接した家の窓が開いて
「コラー!どこで騒いでるんやー!!」と怒られました。
当然です。早朝、住宅地の中でした。
同じく引率に来ていた夫が、
「久しぶりにあんなおっちゃん見たな、昔はあんなおっちゃん、ようけおったな」
と言いました。
けんか、からずいぶん離れてしまいましたが、
第三者の介入(おおげさ)って、必要かな、と思います。「見守り」って言ったほうがいいかな。
むかしは、そんなおっちゃんがいたから、
しぜんに。危険や不審者からも守られ、あらそいもほどほどに終わってたんじゃないかなと、思うのです。
自分は関係ないと知らん顔する大人、自分だけよかったらいいと思う気持ち、
ちょっと考えたいな、と思います。
話それすぎ!すまんです。
Posted by まこさん at 2011年10月11日 09:49
まこさん、コメントありがとうございます。ちびパークの方のコメントでPCの件は知ってましたよ。僕、もうホントにPC嫌いです。なんで思うように動いてくれないのか意味が分からない(T_T)
僕は親の立場は分からないけど、でもこどもとして育ってきた事実はしっかりあって、親やまわりの大人たちの愛情を自分なりに感じているつもりです。
僕の家は田舎の寺なんですが、近所付き合いもものすごくあって、寺の子ってことでチヤホヤもされて(良くも悪くも)、小さい頃から家族以外の人たちとたくさん関わりがあって、いらんこともいっぱいしたから、色んな人たちによく怒られもしました。おかんもよく友達を怒っていたし。。。きっと、他人とどれだけの数、どれだけの深さで関わるかが人間の幅になるんですよね。僕はそう思います。
人それぞれ大事なものは違って、色んな人と関わるなかで、こども自身が自分は何を大事にするのか、したいのか、選べればいいって思います。
「子育てや教育は親や教師がするもの、責任も親か教師にある。」という感覚、僕は大嫌いです!!第三者の介入、大賛成です♪♪こどもはみんなで育てるべき、いや、ちょっとちがうかな。こどもはたくさんのひとのなかで育つべき。 やと思います。だから僕は、一第三者として、好き勝手に思ったようにこどもたちと関わりたいって思います。僕を拒否する選択肢だって、こどもたちにはあるんだし。
ちょっと恥ずかしいんですが、僕自身、まこさんやブライアンが僕のことも見守っていてくれることに、とっても安心しています。第三者の目があることで、良い意味でブレーキがかかっていることがすごくたくさんあります。だから、「ショーユー、それ違うんじゃない?」ってときは、ズバッと言ってください!言ってもらえると信じて、僕は動けているので。よろしくです!
僕は親の立場は分からないけど、でもこどもとして育ってきた事実はしっかりあって、親やまわりの大人たちの愛情を自分なりに感じているつもりです。
僕の家は田舎の寺なんですが、近所付き合いもものすごくあって、寺の子ってことでチヤホヤもされて(良くも悪くも)、小さい頃から家族以外の人たちとたくさん関わりがあって、いらんこともいっぱいしたから、色んな人たちによく怒られもしました。おかんもよく友達を怒っていたし。。。きっと、他人とどれだけの数、どれだけの深さで関わるかが人間の幅になるんですよね。僕はそう思います。
人それぞれ大事なものは違って、色んな人と関わるなかで、こども自身が自分は何を大事にするのか、したいのか、選べればいいって思います。
「子育てや教育は親や教師がするもの、責任も親か教師にある。」という感覚、僕は大嫌いです!!第三者の介入、大賛成です♪♪こどもはみんなで育てるべき、いや、ちょっとちがうかな。こどもはたくさんのひとのなかで育つべき。 やと思います。だから僕は、一第三者として、好き勝手に思ったようにこどもたちと関わりたいって思います。僕を拒否する選択肢だって、こどもたちにはあるんだし。
ちょっと恥ずかしいんですが、僕自身、まこさんやブライアンが僕のことも見守っていてくれることに、とっても安心しています。第三者の目があることで、良い意味でブレーキがかかっていることがすごくたくさんあります。だから、「ショーユー、それ違うんじゃない?」ってときは、ズバッと言ってください!言ってもらえると信じて、僕は動けているので。よろしくです!
Posted by ショーユー at 2011年10月12日 16:52