晩秋の大水児童公園。
色づく葉っぱが秋の終わりを告げています。
落ち葉がたまった水路は
子どもたちにとってかっこうの遊び場になるのですが、
プレーパークのこの日は雨で落ち葉もベチャベチャでした。
晴れた日には、
落ち葉の中に埋もれてみたり、
パラパラ~っとまいたり、
きれいな葉っぱを集めたり...
存分に楽しめます。
小さい頃からこういう自然に触れて遊びたいですね。
四季があるって本当に素敵なことですね。
あったかいお風呂は身も心も温まります。
プレーパークでは、
子どもたちがドラム缶風呂に入ります。
これまで服を着たまま入浴していたのですが、
この日は殿方が服を脱いで入浴されました。
「湯加減はいかがですか?」
小さいお子さんたちに
気に入ってもらえたみたい。
「いらっしゃいませ~。何にしますか?」
「カレーをください」
「は~い、ちょっとお待ちください。
・・・・・・・・・はい、オムライスです」
「カレーをください!」

23日(日)は天野秀昭氏を
お迎えしてのプレーパーク。
ゴンゾーは用事で参加できませんでしたので、
ブライアンさんに報告してもらいます。
22日(土)の講演の内容は
すでにブライアンさんが報告してくださっています。
→http://yokaichiplaypark.shiga-saku.net/c11889.html
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12月は21日(日)と、27日(土)です。
Posted by 八日市に冒険遊び場を作る会 at
00:01
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黒板(看板)をよく目立つように
書き換えてくれました。
「プレーパークってどこでやっておられるのですか?」
というご質問をよくいただきます。
市役所前の道路を
八日市駅に向って右側を見ると
この黒板(看板)が見えます。
奥に進んでいただくと大水公園があります。
Posted by 八日市に冒険遊び場を作る会 at
01:03
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公園整備やっちゃいました。
手入れされず伸び放題のツツジの撤去。
ただ見晴らしがよい公園にしているのではありません。
子どもたちにとっては隠れられる場所も楽しい要素だから。
今回は公園内で“死んでいた区画”を生かすための措置です。
今まで子どもも大人も立ち入らなかった所が
どのように活用されていくか楽しみです。
Posted by 八日市に冒険遊び場を作る会 at
03:05
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報告が遅れていた11月以降の冒険遊び場の様子を紹介します。
11月は初代プレーリーダーのあまのさんが八日市冒険遊び場に来てくれました。
いろんなところで、「これぞ!プレーリーダー」の姿勢を見せていただきました。
表情、しぐさ、声掛け、行動など、
子どもたちの「やってみたい!」「おもしろそう!」といった、
子どもたちの遊び心を誘い出し方や遊び場のデザインの仕方など、
いろいろ教えてもらった気がします。
その一部紹介します
竹笛づくり、


さりげなくナイフを取り出し、
「何してるの?」と寄ってきたこうちゃん。
話をしているうちに、竹笛が完成。
「吹いてみる?」
「ピー♪ ピー♪」 すごいいい音がする。
「すごいなあ」
「ぼくもやってみたいな」
「じゃあやってみる?」
ただのブランコが・・・

ひとりで乗るブランコも楽しいですが、
あまのさんのちょっかいで、ポニョは大喜び。
今まで「誰だ?」と思っていたこの大人が
遊んでくれる楽しい大人だとわかったのか、
その後も何やら、いろいろちょっかい出していました。
車輪のこわれた乗り物遊具が、
「落ちる~、助けて~」
落ちそうでガタガタするから面白いと、
「ぎゃっは、ぎゃっは」
子どもが自然に寄っていくのが、
プレーリーダーなんですね。
遊び場のデザイン


「この木と斜面、おもしろそう」
「使ってもいいロープある?」と。
のこぎりとロープをくわえ、
みるみる木に登ったあまのさん。
「すげ~」「あんなところまで登るんだ」と見守る中、
枯れた枝を切りとり、木に傷がつかないように
しっかりタオルで保護をしてロープをくくりつけ、
大人が乗っても大丈夫かの安全確認した後、
ターザンロープの完成。

空に飛び立つような鳥の気持ちになるロープ遊具が完成。
また、ひとつ遊び場に面白いものが増えました。
11月は初代プレーリーダーのあまのさんが八日市冒険遊び場に来てくれました。
いろんなところで、「これぞ!プレーリーダー」の姿勢を見せていただきました。
表情、しぐさ、声掛け、行動など、
子どもたちの「やってみたい!」「おもしろそう!」といった、
子どもたちの遊び心を誘い出し方や遊び場のデザインの仕方など、
いろいろ教えてもらった気がします。
その一部紹介します
竹笛づくり、



さりげなくナイフを取り出し、
「何してるの?」と寄ってきたこうちゃん。
話をしているうちに、竹笛が完成。
「吹いてみる?」
「ピー♪ ピー♪」 すごいいい音がする。
「すごいなあ」
「ぼくもやってみたいな」
「じゃあやってみる?」
ただのブランコが・・・



ひとりで乗るブランコも楽しいですが、
あまのさんのちょっかいで、ポニョは大喜び。
今まで「誰だ?」と思っていたこの大人が
遊んでくれる楽しい大人だとわかったのか、
その後も何やら、いろいろちょっかい出していました。
車輪のこわれた乗り物遊具が、

「落ちる~、助けて~」
落ちそうでガタガタするから面白いと、
「ぎゃっは、ぎゃっは」
子どもが自然に寄っていくのが、
プレーリーダーなんですね。
遊び場のデザイン



「この木と斜面、おもしろそう」
「使ってもいいロープある?」と。
のこぎりとロープをくわえ、
みるみる木に登ったあまのさん。
「すげ~」「あんなところまで登るんだ」と見守る中、
枯れた枝を切りとり、木に傷がつかないように
しっかりタオルで保護をしてロープをくくりつけ、
大人が乗っても大丈夫かの安全確認した後、
ターザンロープの完成。


空に飛び立つような鳥の気持ちになるロープ遊具が完成。
また、ひとつ遊び場に面白いものが増えました。
Posted by 八日市に冒険遊び場を作る会 at
04:52
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10月25日(土) 行楽シーズン、たくさんの親子で賑わう大水公園。
今日は遊びに来られている方にインタビューしてみようと思います。
今日は遊びに来られている方にインタビューしてみようと思います。
─こんにちは。今日はどちらからお越しですか?
市内です。天気がよかったので、
家族で遊びにきました。
以前は外に出るほうじゃなかったんですけど、
ここ(大水公園)を知ってからは
休みのたびに子どもを連れ出すようになりました。
─子どもさん、楽しそうですね。ありがとうございました。
─続いて、こちらのご家族にインタビューしましょう。
こんにちは。こちらは初めてですか?
ええ、ホームページを見て知りました。近くに
子どもが遊んでいる公園がないもので。他の子
が遊んでいると、それを見て工夫して遊んでま
すね。
─なるほど、この雰囲気も子どもにとって大事な
のかもしれませんね。ありがとうございました。
うわっ!写真や、撮って~。
─はいはい・・・。(パシャり

学校終わってからとか、たまに来るで。けっこう、みんな遊びに来てやるで。
─ありがとう。いっぱい遊んで行ってね。
子どもたちの楽しそうな声が響き渡る大水児童公園。
市内のあちこちで、そんな声が聞こえるようになったらいいですね。
市内のあちこちで、そんな声が聞こえるようになったらいいですね。
Posted by 八日市に冒険遊び場を作る会 at
07:36
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ドラム缶乗り・ドラフィンの達人 ダンボール乗り・ダンフィンの達人


二刀流・剣(?)の達人 ミネストローネ・料理の達人
Posted by 八日市に冒険遊び場を作る会 at
08:25
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中に薪を入れて火をつける。
そして落ち葉をひたすらくべる。
ひたすら、ひたすら

何をしたいのか、
わからない。
落ち葉の焼却炉

煙突なんかもつけちゃって、
まことに焼却炉っぽい。 →
おお!!
お鍋をのせて料理をしている!
そうか、コンロを作っていたのか。
ブロックの隙間からの熱で
調理するんだね。
うおおおお すげええ
(CGじゃないからね!)
家庭のガスコンロじゃ見たことがないくらいの火力です。
しかもこの火力が安定して保たれています。
う~ん、うまい

やっぱ、料理は火力やで。
Posted by 八日市に冒険遊び場を作る会 at
09:45
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11月のプレーパーク。
野球をしていた子どもたち。大ホームランが飛び出し、ボールが消えた。
よく探してみると、「あっ、あそこにある。木の枝に引っかかんで」

「ロープでとろうぜ」

「木を投げようぜ」いろいろ挑戦するがなかなかとれない。
「とどかないから、台の上に乗ったらいいやん」でも、ダメ。
あきらめかけようとしていたその時・・・
「木に登ってとってあげるわ」とかいとくん。
すごく高いところだったので、大丈夫だろうかと、こわごわみんなが見守る中、

「どこにある~」
「もっと上、もっと右」「その辺で枝をゆらしてみて~」

連係プレーで、ボールがぽとっ。落ちてきた瞬間、「パチパチパチパチパチパチ」拍手喝采。

ヒーローが生まれた瞬間でした。
野球をしていた子どもたち。大ホームランが飛び出し、ボールが消えた。
よく探してみると、「あっ、あそこにある。木の枝に引っかかんで」

「ロープでとろうぜ」


「木を投げようぜ」いろいろ挑戦するがなかなかとれない。
「とどかないから、台の上に乗ったらいいやん」でも、ダメ。
あきらめかけようとしていたその時・・・
「木に登ってとってあげるわ」とかいとくん。
すごく高いところだったので、大丈夫だろうかと、こわごわみんなが見守る中、

「どこにある~」
「もっと上、もっと右」「その辺で枝をゆらしてみて~」

連係プレーで、ボールがぽとっ。落ちてきた瞬間、「パチパチパチパチパチパチ」拍手喝采。

ヒーローが生まれた瞬間でした。
Posted by 八日市に冒険遊び場を作る会 at
10:22
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天野さんの講演の内容を報告、
10回シリーズの第3回目は、「遊び場での大人の居方」です。
冒険遊び場講演会「遊びは生きる力!」より
羽根木プレーパークで、最初に、無駄なというか、ただ穴を掘ったのは僕が最初だった気がする。その穴を掘っていたときに、学校帰りに小学1年生が寄ってきた。それで、見かけない顔が穴をほっていると、「何やっているんですか」と聞いてきた。聞いてきたので「穴をほってるんだよ。」と答えた。すると、「穴掘って何するんですか」と聞いてきたから、「掘りたいからほってるんだけど」と答えたら、子どもは5秒くらい考えた後に僕にいったことは、「あの~、公園に穴ほったらいけないことを知っていますか」といった。
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子どもというのは、良いとか悪いではなく、
面白いかつまらないで考えて動く存在
善悪(×) ⇒ 快か不快(○) = ”情動”
****************************************
30年前です。僕は、葛飾の下町で生まれ、がさつな子どもが多くて、世田谷の子どもはなんて上品でしつけの行き届いたと思ったと同時に思ったことは、なんとつまらないガキなんだと思った。子どもというのは、良いとか悪いではなく、面白いかつまらないで考えて動く存在だった。ダメだって言われたって、どうしたってやっちゃう。学校帰りに買い食いや寄り道がダメといわれてもそれがたのしいわけで、いくらダメだといわれても、遊ばないことにはなあ。友だちとあそこで食べることが唯一のたのしみだったり、秘密の場所によったりすることが、学校で嫌なことあったときの癒しの時間だったりとかいろいろあったわけで、それを、禁じられてもなあ、やっちゃうんだよな。っていう自分の子ども時代を思い出すわけですが。それを、「穴をほっちゃいけないと知っていますか」という子どもの反応は想定外だったわけです。
その想定外ということが始まりです。つまり、遊ばないんです。羽根木プレーパークは、羽根木公園の一角にあって、公園の坂を降りた所に学校があったので、前が通学路になっていた。朝行くときには、まだ僕はいないが、帰りにはいるので、毎日のように「おかえり~」など声をかけていた。そうすると、その子たちは、知らない大人と口を聞いてはいけない。とよけて通る。それから一週間もたたないうちに、学校の連絡網で、最近、羽根木公園に髪の長い不審者がいるので、注意して下さいと回覧板で回るんです。(笑)それで、子どもに声をかけるのをやめた。やめたが、仲良くなりたい。世田谷の地は初めてで、不審者だと言われているし、そこで、はじめたのが、郵便受けを作ったんです。郵便屋さんが配達してくれるように。次は、本棚を作った。すると、何と、こちらから寄っていっても避けていた子が、今度はくるんです。最初は「何やっているんですか」と。こうくるもんだから「ポスト作っているんだよ」と「郵便屋さんに手紙をいれてほしいから作っているんだよ」と、話が始まった。
区には学童クラブがあって、その学童クラブにポストがなかったので、学童クラブのポストも作って、手紙の交換を始めようかと、作っていたら、子どもが寄ってきて、そしたら、子どものほうから「僕もつくりたい」と言い出した。「私も」と言い出した。それで、「あそこに材料一杯あるから、つくってもいいよ」とはじまった。子どもは勝手にはじめたんです。この関係でいいんだなと、自分の居方を感じた。つまり、寄っていくといや。でも、寄ってくる分にはいい。それでいいんだと気づいた。
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子どもは、寄っていくといや。でも、寄ってくる分にはいい。
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でも、日本の中で、プレーリーダーは前例がなかったので、冒険遊び場の常設も前例がない、自分の記憶をたどると、僕は大人の目の前ではあまり遊ばなかった、むしろ、大人の目を盗んで遊んでいた。かすめて遊んでいたという子ども時代を経験している。なぜかというと、大人は、よくうるさいから。やかましい。いろいろああしなさいなど。いいとか悪いとか。だめでしょなど、いろんなこといってくるからうるさい。だから、おとなの前ではいろいろとうるさくいわれない遊び方をしていたが、子供同士で、熱中していた遊びは、いたずらを含めて、そんなほうのが、面白く、大人の目に触れないようにしていた。大人を連れてきたりすると逆に「きたねえぞ」など言われたくらい。大人の距離感を持っていた経験を持っている。
そうすると、その自分の体験からすると、遊び場に大人がいるということは、自分の中では違和感がある。大人がいると遊びがつまらなくなってきたという経験から、目をかすめて遊んできたのに、自分がそこにいるわけ。当然、火やナイフを使うから、さっきいったように安全面で何か起こったときに対応するために大人がいるというのはわかるんだけれども、大人がいることで、出来なくなってしまう遊びがあるんじゃないかと懸念した。やはり、自分自身の居方。大人がいることで、つまらなくなるようであれば、遊び場とはいえない。いないほうがましだが、大人がいることで、より面白くなるような居方とは、どうするばいいのかを考えた。いることで面白くなる。そう考えると、いろんなことが見えてきた。
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大人が指導者として君臨すると、出来ない遊びがやまのようにできる!
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今までの多くの大人、いわゆる指導者といわれる人たち、プレーリーダーも遊びの指導者と訳されるが、子どもの遊びに大人の指導者が必要であるということは、否定形で考えている。大人が指導者として、君臨したら、ろくなことがおこらない。遊び場である以上は。というのは、大人が指導者として君臨するとできない遊びがやまのようにできる。むしろ、大人の指導してやらせられる遊びは少ない。とんぼの羽むしりを指導できますか?とんぼの羽むしりを目の前で指導されたらどうします?大人が一緒になって楽しむなんて気持ち悪い。子どもと一緒になって「すげえ」なんでいえない。そういう遊びは一杯ある。
例えば、羽根木公園は大きいんです7haあり、3000㎡くらいを使い、やっていますが、昔からの木がある。雑木林のような感じです。これが世田谷の中なのという感じです。そんなような斜面があり、木が生えているんですが、そのプレーパークの端っこの方で、なんかものすごく、にぎやかな声が聞こえる。端は遠くて斜面があるから見えにくいが、何か歓声が聞こえて楽しそうで、見ていたら、何かを引きずっている。よく見ると、あれは、木だ。僕は、あわてて飛んでいった。枝も葉もついている木。どうしたのってきいたら、みんなでにこにこしながら、きっちゃった。と大喜び。子どもの手には、斧やなた、のこぎりが。丁度切りやすい、腰の位置で切られ、ズタズタな切り株が残っていた。公園には都市公園法が残っていて、山の木を切るのとは違う。公園の人は、どう理解しているのか最中に、公園の大事な木を切ったもんだから、これはやばい。と思ったので、ノコギリを使って、切り株を根元から切り取った。僕は、血相を変えて、切ったもんだから、子どもたちは大変なことをしてしまったと察知して、隠すための土を取りにいった。そして、何もなかったというんだぞ。と。
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時には、見て見ぬふりをしないといけないときがある!
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そんなようなことが子どもの遊びには起こる。知っていたら止めないといけない。大人は。知っていたら。一緒に切ろうといわれても切れない。世田谷には、農地が残っていて、完全な住宅地ではなくて、畑もある。あるとき、プレーパークにいたずら好きの子どもがいるんですが、常に何かやらかす5年生がいて、その子のまわりに何人かいる。その子たちが、何かいいもの見せてやるよと、にたにたしながらきたんです。何かやったときの顔できたので、見たくないと断ったが、畑を作ったので、どうしても見せてやるというので、見に行った。すると、ちゃんと畝が作られていて畑になっていた。けど、目が点に。あと、収穫したらいいだけの、キャベツや大根があった。(笑)「どうしたの?」と聞いたら、「とって来た」と、にたにた笑っているわけ。そのとってくるのが、どれだけ、スリルがあって、どれだけ自分たちが知恵を働かせたかを自慢げ語ってくれるわけ。どこに見張りを誰を立ててとか、自分は異変があったときに叫ぶ係だとか、畑から引き抜く係とか、役割が出来ていて、それが、ほんとに面白かったみたいで、一生懸命はなしてくれるが、その瞬間、こっちは、大人である俺のことをどう思っているのかと思うわけ。大人としては、それをいっしょになって、それは面白かっただろうなと言えないし、(面白かっただろうけど、よかったねとは言えない)それが、大人の限界なんです。だから、大人が遊びの指導者として君臨してはならない。なってしまったら、大人がにこにこして笑っていられるだけの遊びでしか子どもは遊んでいないということなんです。だから、時には、見て見ぬふりをしないといけないときがある。見たらまずいだろう。例えば、おたまじゃくしをつぶしたり、目の前でやられたら、大人としては、何も言わないと、大人が承認していると思われると、これはちょっと違う。それはちょっと違うけど、子どもはやってしまう。そう考えると、大人がいちゃいけない。そのときは、逃げる、という形でいるわけです。大人の居方というのは、遊びの世界では難しい。
つづく。次は、「指導者ではなく、遊び心を誘い出す」です。
10回シリーズの第3回目は、「遊び場での大人の居方」です。
冒険遊び場講演会「遊びは生きる力!」より
羽根木プレーパークで、最初に、無駄なというか、ただ穴を掘ったのは僕が最初だった気がする。その穴を掘っていたときに、学校帰りに小学1年生が寄ってきた。それで、見かけない顔が穴をほっていると、「何やっているんですか」と聞いてきた。聞いてきたので「穴をほってるんだよ。」と答えた。すると、「穴掘って何するんですか」と聞いてきたから、「掘りたいからほってるんだけど」と答えたら、子どもは5秒くらい考えた後に僕にいったことは、「あの~、公園に穴ほったらいけないことを知っていますか」といった。
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子どもというのは、良いとか悪いではなく、
面白いかつまらないで考えて動く存在
善悪(×) ⇒ 快か不快(○) = ”情動”
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30年前です。僕は、葛飾の下町で生まれ、がさつな子どもが多くて、世田谷の子どもはなんて上品でしつけの行き届いたと思ったと同時に思ったことは、なんとつまらないガキなんだと思った。子どもというのは、良いとか悪いではなく、面白いかつまらないで考えて動く存在だった。ダメだって言われたって、どうしたってやっちゃう。学校帰りに買い食いや寄り道がダメといわれてもそれがたのしいわけで、いくらダメだといわれても、遊ばないことにはなあ。友だちとあそこで食べることが唯一のたのしみだったり、秘密の場所によったりすることが、学校で嫌なことあったときの癒しの時間だったりとかいろいろあったわけで、それを、禁じられてもなあ、やっちゃうんだよな。っていう自分の子ども時代を思い出すわけですが。それを、「穴をほっちゃいけないと知っていますか」という子どもの反応は想定外だったわけです。
その想定外ということが始まりです。つまり、遊ばないんです。羽根木プレーパークは、羽根木公園の一角にあって、公園の坂を降りた所に学校があったので、前が通学路になっていた。朝行くときには、まだ僕はいないが、帰りにはいるので、毎日のように「おかえり~」など声をかけていた。そうすると、その子たちは、知らない大人と口を聞いてはいけない。とよけて通る。それから一週間もたたないうちに、学校の連絡網で、最近、羽根木公園に髪の長い不審者がいるので、注意して下さいと回覧板で回るんです。(笑)それで、子どもに声をかけるのをやめた。やめたが、仲良くなりたい。世田谷の地は初めてで、不審者だと言われているし、そこで、はじめたのが、郵便受けを作ったんです。郵便屋さんが配達してくれるように。次は、本棚を作った。すると、何と、こちらから寄っていっても避けていた子が、今度はくるんです。最初は「何やっているんですか」と。こうくるもんだから「ポスト作っているんだよ」と「郵便屋さんに手紙をいれてほしいから作っているんだよ」と、話が始まった。
区には学童クラブがあって、その学童クラブにポストがなかったので、学童クラブのポストも作って、手紙の交換を始めようかと、作っていたら、子どもが寄ってきて、そしたら、子どものほうから「僕もつくりたい」と言い出した。「私も」と言い出した。それで、「あそこに材料一杯あるから、つくってもいいよ」とはじまった。子どもは勝手にはじめたんです。この関係でいいんだなと、自分の居方を感じた。つまり、寄っていくといや。でも、寄ってくる分にはいい。それでいいんだと気づいた。
****************************************
子どもは、寄っていくといや。でも、寄ってくる分にはいい。
****************************************
でも、日本の中で、プレーリーダーは前例がなかったので、冒険遊び場の常設も前例がない、自分の記憶をたどると、僕は大人の目の前ではあまり遊ばなかった、むしろ、大人の目を盗んで遊んでいた。かすめて遊んでいたという子ども時代を経験している。なぜかというと、大人は、よくうるさいから。やかましい。いろいろああしなさいなど。いいとか悪いとか。だめでしょなど、いろんなこといってくるからうるさい。だから、おとなの前ではいろいろとうるさくいわれない遊び方をしていたが、子供同士で、熱中していた遊びは、いたずらを含めて、そんなほうのが、面白く、大人の目に触れないようにしていた。大人を連れてきたりすると逆に「きたねえぞ」など言われたくらい。大人の距離感を持っていた経験を持っている。
そうすると、その自分の体験からすると、遊び場に大人がいるということは、自分の中では違和感がある。大人がいると遊びがつまらなくなってきたという経験から、目をかすめて遊んできたのに、自分がそこにいるわけ。当然、火やナイフを使うから、さっきいったように安全面で何か起こったときに対応するために大人がいるというのはわかるんだけれども、大人がいることで、出来なくなってしまう遊びがあるんじゃないかと懸念した。やはり、自分自身の居方。大人がいることで、つまらなくなるようであれば、遊び場とはいえない。いないほうがましだが、大人がいることで、より面白くなるような居方とは、どうするばいいのかを考えた。いることで面白くなる。そう考えると、いろんなことが見えてきた。
****************************************
大人が指導者として君臨すると、出来ない遊びがやまのようにできる!
****************************************
今までの多くの大人、いわゆる指導者といわれる人たち、プレーリーダーも遊びの指導者と訳されるが、子どもの遊びに大人の指導者が必要であるということは、否定形で考えている。大人が指導者として、君臨したら、ろくなことがおこらない。遊び場である以上は。というのは、大人が指導者として君臨するとできない遊びがやまのようにできる。むしろ、大人の指導してやらせられる遊びは少ない。とんぼの羽むしりを指導できますか?とんぼの羽むしりを目の前で指導されたらどうします?大人が一緒になって楽しむなんて気持ち悪い。子どもと一緒になって「すげえ」なんでいえない。そういう遊びは一杯ある。
例えば、羽根木公園は大きいんです7haあり、3000㎡くらいを使い、やっていますが、昔からの木がある。雑木林のような感じです。これが世田谷の中なのという感じです。そんなような斜面があり、木が生えているんですが、そのプレーパークの端っこの方で、なんかものすごく、にぎやかな声が聞こえる。端は遠くて斜面があるから見えにくいが、何か歓声が聞こえて楽しそうで、見ていたら、何かを引きずっている。よく見ると、あれは、木だ。僕は、あわてて飛んでいった。枝も葉もついている木。どうしたのってきいたら、みんなでにこにこしながら、きっちゃった。と大喜び。子どもの手には、斧やなた、のこぎりが。丁度切りやすい、腰の位置で切られ、ズタズタな切り株が残っていた。公園には都市公園法が残っていて、山の木を切るのとは違う。公園の人は、どう理解しているのか最中に、公園の大事な木を切ったもんだから、これはやばい。と思ったので、ノコギリを使って、切り株を根元から切り取った。僕は、血相を変えて、切ったもんだから、子どもたちは大変なことをしてしまったと察知して、隠すための土を取りにいった。そして、何もなかったというんだぞ。と。
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時には、見て見ぬふりをしないといけないときがある!
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そんなようなことが子どもの遊びには起こる。知っていたら止めないといけない。大人は。知っていたら。一緒に切ろうといわれても切れない。世田谷には、農地が残っていて、完全な住宅地ではなくて、畑もある。あるとき、プレーパークにいたずら好きの子どもがいるんですが、常に何かやらかす5年生がいて、その子のまわりに何人かいる。その子たちが、何かいいもの見せてやるよと、にたにたしながらきたんです。何かやったときの顔できたので、見たくないと断ったが、畑を作ったので、どうしても見せてやるというので、見に行った。すると、ちゃんと畝が作られていて畑になっていた。けど、目が点に。あと、収穫したらいいだけの、キャベツや大根があった。(笑)「どうしたの?」と聞いたら、「とって来た」と、にたにた笑っているわけ。そのとってくるのが、どれだけ、スリルがあって、どれだけ自分たちが知恵を働かせたかを自慢げ語ってくれるわけ。どこに見張りを誰を立ててとか、自分は異変があったときに叫ぶ係だとか、畑から引き抜く係とか、役割が出来ていて、それが、ほんとに面白かったみたいで、一生懸命はなしてくれるが、その瞬間、こっちは、大人である俺のことをどう思っているのかと思うわけ。大人としては、それをいっしょになって、それは面白かっただろうなと言えないし、(面白かっただろうけど、よかったねとは言えない)それが、大人の限界なんです。だから、大人が遊びの指導者として君臨してはならない。なってしまったら、大人がにこにこして笑っていられるだけの遊びでしか子どもは遊んでいないということなんです。だから、時には、見て見ぬふりをしないといけないときがある。見たらまずいだろう。例えば、おたまじゃくしをつぶしたり、目の前でやられたら、大人としては、何も言わないと、大人が承認していると思われると、これはちょっと違う。それはちょっと違うけど、子どもはやってしまう。そう考えると、大人がいちゃいけない。そのときは、逃げる、という形でいるわけです。大人の居方というのは、遊びの世界では難しい。
つづく。次は、「指導者ではなく、遊び心を誘い出す」です。