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2008年11月26日   遊びは生きる力だ!講演会開催


去る11月22日(土)東近江市役所別館大ホールで
「遊びは生きる力だ!~教育から遊育へ~」と題した
冒険遊び場・遊育講演会を開催しました。
市内外から約50名が参加し、
子どもにとっての遊びの大切さ、大人の役割など、
いろんな話を聞くことができました。
詳しくは、後日、紹介しますねiconN27


次第

毎月定期的に開催している
八日市冒険遊び場の春夏秋冬の様子を
ごんぞーさんによる面白スライド紹介。

つづいて、
日本冒険遊び場づくり協会
天野秀昭さんを講師に
「遊びは生きる力だ!教育から遊育へ」
と題した納得の講演会。

最後には、
参加のみなさんからの質問タイム。

(その回答にはすっきり納得icon01



その後、場所を移して、
天野さんを囲んでの意見交換会。

そうちゃん、こうちゃんの乾杯のあと、
大いに遊び場談義に盛り上がりましたface02












そして、次の日、いつもの八日市冒険遊び場に天野さんも参加。
さりげない子どもたちとのかかわりのほか、
天野さんの直伝のターザンロープが完成し、
多くの子どもたちが、挑戦していました。




Posted by 八日市に冒険遊び場を作る会 at 23:26Comments(0)遊育講演会 報告

2008年11月28日   冒険遊び場の起源

これから10回に分けて、天野さんの講演の内容を報告します。
まず、第1回目は、「冒険遊び場の起源」です。

冒険遊び場・講演会 「遊びは生きる力だ!」より、

 冒険遊び場の起源としては、世田谷が最初ですが、モデルにしたところがあります。それは、ヨーロッパ。今から35年前に、一組の夫婦が子育てをしていて、5歳と7歳の子どもがいました。自分たちの遊んだころと我が子の遊んでいる様子があまりにもちがうのに疑問をもったのがきっかけ。その方達は、田舎のほうで育ったのでなおさらですが、35年前にその年齢なので、今は40歳を越えていますが、世田谷の都市部では、40年前には、そんな風にちがうと、思われていた状況がありました。
 その方たちが、すごかったのは、子どもの遊びが違うと、最近の子どもは遊べなくなったと遊べなくなったという。ところが、この夫婦はそう思わなかった。子どもの遊ぶ環境に何か変化が起こっているのではないか。子どもの遊ぶ環境がおかしくなったと考えた。この視点というのは、全然違って、子どもが遊べなくなったと思うと子どもを何とかしないといけない。そうすると、大人は子どもをいじくりまわす。こどもの遊び環境がおかしくなったと考えると、環境を何とかしようとするわけです。いじくらねばいけないのは、環境と考えるわけです。面白い場所をいかに生み出していくか。子どもはそうすれば勝手に遊んでいる。子どもの遊び方が変わったのではなく、日々がつまらなくなったから遊ばない。単純な話。冒険遊び場というのは、その名のとおり、冒険ですが、もともとこれが始まったのは、1943年までさかのぼります。

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最近の子どもは遊べなくなった(×) ⇒だと 子どもを何とかしないといけない(×) 
 子どもの遊ぶ環境に異変がおこった(○) ⇒だと 環境をなんとかしないといけない(○)
  

  面白い場所があると、子どもは勝手に遊ぶ。
  日々がつまらないから遊ばないのだ。


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 この頃は、第二次世界大戦の最中。ところは、デンマーク。北欧です。そのデンマークで子どもの遊び場を設計していた人が、子どもの遊びを観察していると、大人が計画した遊び場よりも、大人が遊んではいけないといっている工事現場や資材置き場の方が、はるかにいきいき遊んでいるのを発見しました。だから、そういう遊び場をつくったらいいんじゃないかと、廃材を転がした遊び場を作った。金づちを置いたりして、トンカントンカンやったりしていた。そうすると、危険な部分もあり、怪我をしたりすることもあるので、安全を考えて、何か起こったときの対応のために、ひとり大人を配置したのです。ところが、その配置された大人が、子どもと絶妙にやりくりする力に長けていた。子どものすることをじゃましない。うえに、うまくサポートしていた。この絶妙なやりとりができる人間であったから、子どもだけでは、出来ない遊び場がうまれていった。それが発見であった。最初から意図したことではないのですが、大人の力が加わることによって、子どもだけでは成しえないことまでができる。しかも、大人が遊び心を高めていくことが出来るとがわかったことによって、冒険遊び場ということとプレーリーダーとセットで語られるようになった。

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 何かおこった対応のために大人がいた。
 うまくサポートすることで、子どもだけでは出来ない遊びが出来たという発見。

  
  遊び心を誘い出す大人 = プレーリーダーの誕生

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 冒険遊び場とプレーリーダーとの考え方が飛躍的に発展していくのが、イギリス。最初に作られたのが、ロンドン。ナチスドイツの攻撃によって町全体が破壊されていた。で、ロンドンで一番最初に作られた、まさにその攻撃にあった建物そのものを開放された。石の文化でガレキの建物。くずれていて空が見えていたりなど、攻撃をうけていたので、非常に危ないものだったが、あまり片付けていなくて、そんな状態のところを遊び場として解放したのが、第1号です。いま、世間でよくいわれている安全安心の発想とはちがい、冒険遊びというのは違う。つまり、子どものやってみたいというのは、かなり挑戦的なものなんだ。そこには、リスクがつきまとう。このリスクそのものが子どもにとっては非常に豊かな体験になっていくんだという考えに基づいているわけです。だから、危険なことということを含めて、冒険遊び場では保障していこうと考えてやっています。世田谷でもその考え方を引き続いてやっています。現代では、ロンドンの廃墟を作ることができないので、まだまだおとなしめな遊び場ですが、30年やってきました。
  
 つづく。次は、「日本初の常設のプレーパークの誕生」です。


Posted by 八日市に冒険遊び場を作る会 at 12:41Comments(0)遊育講演会 報告

2008年11月29日   日本初の常設のプレーパークの誕生の話

 天野さんの講演の内容を報告、
10回シリーズの第2回目は、「日本初の常設のプレーパークの誕生」です。

冒険遊び場・講演会 「遊びは生きる力だ!」より、

 前回報告したご夫妻が中心になって動き出して、このイギリスの冒険遊び場を知ったわけですが、日本にいま必要なのはまさにこういう環境じゃないかと、自分の子どもの通う幼稚園や学校のPTAに声をかけ、こういう遊び場をつくらないかと話をしていった。そうすると、そこにみえる遊び場は、公園の専門家の人たちがつくったようなきれいに整えられている遊び場とはちがうので、これだったら、素人だってつくれるし、面白そうだという親たちが集まって、日本の中で、35年前に最初に作られたわけです。

 これが、世田谷経堂で立ち上げられた遊び場です。夏休みだけでしたが、それをやったことで、子どもの反応がすごく良かった。実は、その夏は、用水路を埋め立てた場所を上にコンクリートをのせた一角をかりたところでやったんですが、その幅は100mくらいの一角です。その後、その場所は、整理するために、封鎖しないといけない予定だったんですが、子どもがやめないでと親たちの間を説得して歩いた。当時、子どもの権利条約もいわれてないので、子どもの表明権は一言もありませんが、子どもがやめないでくれと、運営にあたっていた親たちを説得したことが、これはやめられないということとなり、次の場所探しに動いて、住民たちの手で、15ヶ月、毎日空けるという遊び場づくりに挑戦していったわけです。

 ここまでは、住民だけで行われた遊び場です。15ヶ月、毎日あけるというのは、並大抵のことではない。毎日人が誰かがいるわけ。これは大変なこと。身体を拘束されることもあるし、運営資金を捻出することも自分たちで、バザーや廃品回収で作り出していて、行政の支援は全くなかった時代です。それでも15ヶ月やったというのが実績となって、1979年、この年は国際児童年の年だったのですが、世界中で子どものことをもっと考えようと国連が決議した年。世田谷でも子どものための何か記念事業ができないかと思っていたのが、まだ何をやるか決めていないのを住民が目をつけて、いっしょにやりませんかと投げかけた。行政の人たちからすると、冒険遊び場というのは、ちょっと腰がひけるというか、役所にとって一番やっかいなことは責任の問題。何か起こったときの責任追及というものが、あたりまえのようにあったので、こういうことは引き受けたくないという思いはあるが、住民がこれまでやってきた3年半の歴史・実績が行政を動かす。行政の中にもこの実績を評価する人もいたから、行政の中で調整する人がいたのが、きっかけとなって、住民と行政の協働事業として、羽根木プレーパークというのが常設された。これが、日本で初めての常設のプレーパークが誕生したわけです。

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 住民の手づくりではじまった遊び場づくり
   責任をもって運営した実績が、事業化につながった


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 今でも、場所と資金は行政が担う。けれど、運営そのものは住民が責任を持って担う。ここで起こることについては、住民が全て責任をもって解決を担うということをこの30年間やり続けていることが、それが行政との信頼感を得ている。つまり、やってくれではなくて、いっしょにやろうなんです。やってくれといわれると、行政ではつくれない。何かがが起こったときの責任問題など、行政だけでは限界がある。それを住民がやっているということで、冒険遊び場は、運営できているのです。

(つづく)
次は、「遊び場での大人の居方」です。
 


Posted by 八日市に冒険遊び場を作る会 at 20:52Comments(0)遊育講演会 報告

2008年11月30日   晩秋の大水児童公園



 秋の大水児童公園。
 色づく葉っぱが秋の終わりを告げています。
 落ち葉がたまった水路は
 子どもたちにとってかっこうの遊び場になるのですが、
 プレーパークのこの日は雨で落ち葉もベチャベチャでした。

 れた日には、
 落ち葉の中に埋もれてみたり、
 パラパラ~っとまいたり、
 きれいな葉っぱを集めたり...
 存分に楽しめます。
 小さい頃からこういう自然に触れて遊びたいですね。
 四季があるって本当に素敵なことですね。



 枯らし吹き始めるこの季節、
 あったかいお風呂は身も心も温まります。
 プレーパークでは、
 子どもたちがドラム缶風呂に入ります。
 これまで服を着たまま入浴していたのですが、
 この日は殿方が服を脱いで入浴されました。
 「湯加減はいかがですか?」



 しくなったお店屋さん。
 小さいお子さんたちに
 気に入ってもらえたみたい。
 「いらっしゃいませ~。何にしますか?」
 「カレーをください」
 「は~い、ちょっとお待ちください。
  ・・・・・・・・・はい、オムライスです」
 「カレーをください!




23日(日)は天野秀昭氏を
お迎えしてのプレーパーク。
ゴンゾーは用事で参加できませんでしたので、
ブライアンさんに報告してもらいます。
22日(土)の講演の内容は
すでにブライアンさんが報告してくださっています。
http://yokaichiplaypark.shiga-saku.net/c11889.html


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12月は21日(日)と、27日(土)です。





Posted by 八日市に冒険遊び場を作る会 at 00:01Comments(0)

2008年11月30日   この黒板を目印に来てください

 手のプレーリーダーたちが
 黒板(看板)をよく目立つように
 書き換えてくれました。
 「プレーパークってどこでやっておられるのですか?」
 というご質問をよくいただきます。
 市役所前の道路を
 八日市駅に向って右側を見ると
 この黒板(看板)が見えます。
 奥に進んでいただくと大水公園があります。






Posted by 八日市に冒険遊び場を作る会 at 01:03Comments(0)

2008年11月30日   Before → After

          
                                          
          

  園整備やっちゃいました。
  手入れされず伸び放題のツツジの撤去。
  ただ見晴らしがよい公園にしているのではありません。
  子どもたちにとっては隠れられる場所も楽しい要素だから。
  今回は公園内で“死んでいた区画”を生かすための措置です。
  今まで子どもも大人も立ち入らなかった所が
  どのように活用されていくか楽しみです。




Posted by 八日市に冒険遊び場を作る会 at 03:05Comments(0)

2008年11月30日   これぞ!プレーリーダー

 報告が遅れていた11月以降の冒険遊び場の様子を紹介します。

 11月は初代プレーリーダーのあまのさんが八日市冒険遊び場に来てくれました。
 いろんなところで、「これぞ!プレーリーダー」の姿勢を見せていただきました。

 表情、しぐさ、声掛け、行動など、
 子どもたちの「やってみたい!」「おもしろそう!」といった、
 子どもたちの遊び心を誘い出し方や遊び場のデザインの仕方など、
 いろいろ教えてもらった気がします。

 その一部紹介します

 竹笛づくり
  
 
 さりげなくナイフを取り出し、
 「何してるの?」と寄ってきたこうちゃん。

 話をしているうちに、竹笛が完成。

 「吹いてみる?」
 「ピー♪ ピー♪」  すごいいい音がする。

 「すごいなあ」
 「ぼくもやってみたいな」

 「じゃあやってみる?」


 ただのブランコが・・・

    
  
  ひとりで乗るブランコも楽しいですが、
  あまのさんのちょっかいで、ポニョは大喜び。

  今まで「誰だ?」と思っていたこの大人が
  遊んでくれる楽しい大人だとわかったのか、

  その後も何やら、いろいろちょっかい出していました。





  車輪のこわれた乗り物遊具が、
 
 「落ちる~、助けて~」

  落ちそうでガタガタするから面白いと、

  「ぎゃっは、ぎゃっは」

 
  
  子どもが自然に寄っていくのが、
  プレーリーダーなんですね。




 遊び場のデザイン
  
 
 「この木と斜面、おもしろそう」
 「使ってもいいロープある?」と。

 のこぎりとロープをくわえ、
 みるみる木に登ったあまのさん。

 「すげ~」「あんなところまで登るんだ」と見守る中、
 枯れた枝を切りとり、木に傷がつかないように
 しっかりタオルで保護をしてロープをくくりつけ、
 大人が乗っても大丈夫かの安全確認した後、
 ターザンロープの完成

  
 空に飛び立つような鳥の気持ちになるロープ遊具が完成。
 また、ひとつ遊び場に面白いものが増えました。


 
 
 


Posted by 八日市に冒険遊び場を作る会 at 04:52Comments(0)

2008年11月30日   こんにちは!YPP放送です




10月25日(土) 行楽シーズン、たくさんの親子で賑わう大水公園。
今日は遊びに来られている方にインタビューしてみようと思います。



─こんにちは。今日はどちらからお越しですか?

 市内です。天気がよかったので、
 家族で遊びにきました。
 以前は外に出るほうじゃなかったんですけど、
 ここ(大水公園)を知ってからは
 休みのたびに子どもを連れ出すようになりました。


─子どもさん、楽しそうですね。ありがとうございました。




─続いて、こちらのご家族にインタビューしましょう。
こんにちは。こちらは初めてですか?

 ええ、ホームページを見て知りました。近くに
子どもが遊んでいる公園がないもので。他の子
が遊んでいると、それを見て工夫して遊んでま
すね。


─なるほど、この雰囲気も子どもにとって大事な
のかもしれませんね。ありがとうございました。


─子どもさんだけのグループがありますね。インタビューしてみましょう。こんにちは。

 うわっ!写真や、撮って~。

─はいはい・・・。(パシャりカメラ) この公園はよく遊びに来るの?

 学校終わってからとか、たまに来るで。けっこう、みんな遊びに来てやるで。

─ありがとう。いっぱい遊んで行ってね。


どもたちの楽しそうな声が響き渡る大水児童公園。
市内のあちこちで、そんな声が聞こえるようになったらいいですね。







Posted by 八日市に冒険遊び場を作る会 at 07:36Comments(0)

2008年11月30日   いろんな達人あらわる

  
    ドラム缶乗り・ドラフィンの達人            ダンボール乗り・ダンフィンの達人

  
     二刀流・剣(?)の達人               ミネストローネ・料理の達人

 


Posted by 八日市に冒険遊び場を作る会 at 08:25Comments(0)

2008年11月30日   すごい火力!

 ロックをいくつも組み合わせ、
 中に薪を入れて火をつける。
 そして落ち葉をひたすらくべる。
 ひたすら、ひたすらface09
 
     をしたいのか、
     わからない。
     落ち葉の焼却炉iconN05
     煙突なんかもつけちゃって、
     まことに焼却炉っぽい。  






 お!!
 お鍋をのせて料理をしている!
 そうか、コンロを作っていたのか。
 ブロックの隙間からの熱で
 調理するんだね。







  















   うおお すげ
        (CGじゃないからね!)
 家庭のガスコンロじゃ見たことがないくらいの火力です。
しかもこの火力が安定して保たれています。


 ~ん、うまいface05
 やっぱ、料理は火力やで。


Posted by 八日市に冒険遊び場を作る会 at 09:45Comments(0)

2008年11月30日   ヒーローあらわる

 11月のプレーパーク。
 野球をしていた子どもたち。大ホームランが飛び出し、ボールが消えた。
 よく探してみると、「あっ、あそこにある。木の枝に引っかかんで」

  「ロープでとろうぜ」

  
 「木を投げようぜ」いろいろ挑戦するがなかなかとれない。
 「とどかないから、台の上に乗ったらいいやん」でも、ダメ。


 あきらめかけようとしていたその時・・・


 「木に登ってとってあげるわ」とかいとくん。
すごく高いところだったので、大丈夫だろうかと、こわごわみんなが見守る中、


 
 「どこにある~」
 「もっと上、もっと右」「その辺で枝をゆらしてみて~」


 連係プレーで、ボールがぽとっ。落ちてきた瞬間、「パチパチパチパチパチパチ」拍手喝采。

 
 
 ヒーローが生まれた瞬間でした。

 



Posted by 八日市に冒険遊び場を作る会 at 10:22Comments(0)

2008年11月30日   遊び場での大人の居方

天野さんの講演の内容を報告、
10回シリーズの第3回目は、「遊び場での大人の居方」です。

冒険遊び場講演会「遊びは生きる力!」より

 羽根木プレーパークで、最初に、無駄なというか、ただ穴を掘ったのは僕が最初だった気がする。その穴を掘っていたときに、学校帰りに小学1年生が寄ってきた。それで、見かけない顔が穴をほっていると、「何やっているんですか」と聞いてきた。聞いてきたので「穴をほってるんだよ。」と答えた。すると、「穴掘って何するんですか」と聞いてきたから、「掘りたいからほってるんだけど」と答えたら、子どもは5秒くらい考えた後に僕にいったことは、「あの~、公園に穴ほったらいけないことを知っていますか」といった。

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 子どもというのは、良いとか悪いではなく、
    面白いかつまらないで考えて動く存在

         善悪(×)  ⇒ 快か不快(○)  = ”情動

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 30年前です。僕は、葛飾の下町で生まれ、がさつな子どもが多くて、世田谷の子どもはなんて上品でしつけの行き届いたと思ったと同時に思ったことは、なんとつまらないガキなんだと思った。子どもというのは、良いとか悪いではなく、面白いかつまらないで考えて動く存在だった。ダメだって言われたって、どうしたってやっちゃう。学校帰りに買い食いや寄り道がダメといわれてもそれがたのしいわけで、いくらダメだといわれても、遊ばないことにはなあ。友だちとあそこで食べることが唯一のたのしみだったり、秘密の場所によったりすることが、学校で嫌なことあったときの癒しの時間だったりとかいろいろあったわけで、それを、禁じられてもなあ、やっちゃうんだよな。っていう自分の子ども時代を思い出すわけですが。それを、「穴をほっちゃいけないと知っていますか」という子どもの反応は想定外だったわけです。

 その想定外ということが始まりです。つまり、遊ばないんです。羽根木プレーパークは、羽根木公園の一角にあって、公園の坂を降りた所に学校があったので、前が通学路になっていた。朝行くときには、まだ僕はいないが、帰りにはいるので、毎日のように「おかえり~」など声をかけていた。そうすると、その子たちは、知らない大人と口を聞いてはいけない。とよけて通る。それから一週間もたたないうちに、学校の連絡網で、最近、羽根木公園に髪の長い不審者がいるので、注意して下さいと回覧板で回るんです。(笑)それで、子どもに声をかけるのをやめた。やめたが、仲良くなりたい。世田谷の地は初めてで、不審者だと言われているし、そこで、はじめたのが、郵便受けを作ったんです。郵便屋さんが配達してくれるように。次は、本棚を作った。すると、何と、こちらから寄っていっても避けていた子が、今度はくるんです。最初は「何やっているんですか」と。こうくるもんだから「ポスト作っているんだよ」と「郵便屋さんに手紙をいれてほしいから作っているんだよ」と、話が始まった。

 区には学童クラブがあって、その学童クラブにポストがなかったので、学童クラブのポストも作って、手紙の交換を始めようかと、作っていたら、子どもが寄ってきて、そしたら、子どものほうから「僕もつくりたい」と言い出した。「私も」と言い出した。それで、「あそこに材料一杯あるから、つくってもいいよ」とはじまった。子どもは勝手にはじめたんです。この関係でいいんだなと、自分の居方を感じた。つまり、寄っていくといや。でも、寄ってくる分にはいい。それでいいんだと気づいた。

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 子どもは、寄っていくといや。でも、寄ってくる分にはいい。

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 でも、日本の中で、プレーリーダーは前例がなかったので、冒険遊び場の常設も前例がない、自分の記憶をたどると、僕は大人の目の前ではあまり遊ばなかった、むしろ、大人の目を盗んで遊んでいた。かすめて遊んでいたという子ども時代を経験している。なぜかというと、大人は、よくうるさいから。やかましい。いろいろああしなさいなど。いいとか悪いとか。だめでしょなど、いろんなこといってくるからうるさい。だから、おとなの前ではいろいろとうるさくいわれない遊び方をしていたが、子供同士で、熱中していた遊びは、いたずらを含めて、そんなほうのが、面白く、大人の目に触れないようにしていた。大人を連れてきたりすると逆に「きたねえぞ」など言われたくらい。大人の距離感を持っていた経験を持っている。

 そうすると、その自分の体験からすると、遊び場に大人がいるということは、自分の中では違和感がある。大人がいると遊びがつまらなくなってきたという経験から、目をかすめて遊んできたのに、自分がそこにいるわけ。当然、火やナイフを使うから、さっきいったように安全面で何か起こったときに対応するために大人がいるというのはわかるんだけれども、大人がいることで、出来なくなってしまう遊びがあるんじゃないかと懸念した。やはり、自分自身の居方。大人がいることで、つまらなくなるようであれば、遊び場とはいえない。いないほうがましだが、大人がいることで、より面白くなるような居方とは、どうするばいいのかを考えた。いることで面白くなる。そう考えると、いろんなことが見えてきた。

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 大人が指導者として君臨すると、出来ない遊びがやまのようにできる!

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 今までの多くの大人、いわゆる指導者といわれる人たち、プレーリーダーも遊びの指導者と訳されるが、子どもの遊びに大人の指導者が必要であるということは、否定形で考えている。大人が指導者として、君臨したら、ろくなことがおこらない。遊び場である以上は。というのは、大人が指導者として君臨するとできない遊びがやまのようにできる。むしろ、大人の指導してやらせられる遊びは少ない。とんぼの羽むしりを指導できますか?とんぼの羽むしりを目の前で指導されたらどうします?大人が一緒になって楽しむなんて気持ち悪い。子どもと一緒になって「すげえ」なんでいえない。そういう遊びは一杯ある。

 例えば、羽根木公園は大きいんです7haあり、3000㎡くらいを使い、やっていますが、昔からの木がある。雑木林のような感じです。これが世田谷の中なのという感じです。そんなような斜面があり、木が生えているんですが、そのプレーパークの端っこの方で、なんかものすごく、にぎやかな声が聞こえる。端は遠くて斜面があるから見えにくいが、何か歓声が聞こえて楽しそうで、見ていたら、何かを引きずっている。よく見ると、あれは、木だ。僕は、あわてて飛んでいった。枝も葉もついている木。どうしたのってきいたら、みんなでにこにこしながら、きっちゃった。と大喜び。子どもの手には、斧やなた、のこぎりが。丁度切りやすい、腰の位置で切られ、ズタズタな切り株が残っていた。公園には都市公園法が残っていて、山の木を切るのとは違う。公園の人は、どう理解しているのか最中に、公園の大事な木を切ったもんだから、これはやばい。と思ったので、ノコギリを使って、切り株を根元から切り取った。僕は、血相を変えて、切ったもんだから、子どもたちは大変なことをしてしまったと察知して、隠すための土を取りにいった。そして、何もなかったというんだぞ。と。

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 時には、見て見ぬふりをしないといけないときがある!

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 そんなようなことが子どもの遊びには起こる。知っていたら止めないといけない。大人は。知っていたら。一緒に切ろうといわれても切れない。世田谷には、農地が残っていて、完全な住宅地ではなくて、畑もある。あるとき、プレーパークにいたずら好きの子どもがいるんですが、常に何かやらかす5年生がいて、その子のまわりに何人かいる。その子たちが、何かいいもの見せてやるよと、にたにたしながらきたんです。何かやったときの顔できたので、見たくないと断ったが、畑を作ったので、どうしても見せてやるというので、見に行った。すると、ちゃんと畝が作られていて畑になっていた。けど、目が点に。あと、収穫したらいいだけの、キャベツや大根があった。(笑)「どうしたの?」と聞いたら、「とって来た」と、にたにた笑っているわけ。そのとってくるのが、どれだけ、スリルがあって、どれだけ自分たちが知恵を働かせたかを自慢げ語ってくれるわけ。どこに見張りを誰を立ててとか、自分は異変があったときに叫ぶ係だとか、畑から引き抜く係とか、役割が出来ていて、それが、ほんとに面白かったみたいで、一生懸命はなしてくれるが、その瞬間、こっちは、大人である俺のことをどう思っているのかと思うわけ。大人としては、それをいっしょになって、それは面白かっただろうなと言えないし、(面白かっただろうけど、よかったねとは言えない)それが、大人の限界なんです。だから、大人が遊びの指導者として君臨してはならない。なってしまったら、大人がにこにこして笑っていられるだけの遊びでしか子どもは遊んでいないということなんです。だから、時には、見て見ぬふりをしないといけないときがある。見たらまずいだろう。例えば、おたまじゃくしをつぶしたり、目の前でやられたら、大人としては、何も言わないと、大人が承認していると思われると、これはちょっと違う。それはちょっと違うけど、子どもはやってしまう。そう考えると、大人がいちゃいけない。そのときは、逃げる、という形でいるわけです。大人の居方というのは、遊びの世界では難しい。


つづく。次は、「指導者ではなく、遊び心を誘い出す」です。



Posted by 八日市に冒険遊び場を作る会 at 18:45Comments(0)遊育講演会 報告