2008年12月09日    いろんな人の見方がある

遊育講演会の報告シリーズ、
第9回目は「いろんな人の見方がある」です。


前回に引き続き、講演後の質問タイムでの話を紹介します。

Q2.
 保育園でクラス崩壊していると話合いがあったのですが、誰もが本音を言わず、
 当たり障りなく終わってしまい、どの親にももどかしさがある中で終わってしまいました。
 園という規則がある中で、みんなで生活するにはどうしたらいいですか。
 もやもやしていているので、教えてください。

A2.
 園で崩壊?もともとまとまるわけがない。
 崩壊の意味がわからなが、学校の中では、みんなで同じことができないとわかるが、
 園では、できないと不思議とは思わない。

 できないをを無理やり大人の都合に合わせていくと子どもは壊れていくと思う。

 (みんなが歌を歌う時間に歌を歌わない。
 つられて、遊んでしまう。決まった時間にしっかりできないと
 小学校にいったときにちゃんとできないと先生に言われました)

 さっきの話と同じで、崩壊しているのはどっちか?
 先生の見方からすると、その見方にさらされている子どもがおかしくなる。
 出来なかったて普通。できないとおかしいと決められた方がおかしくなる。
 大人が問題を作って、子どもがおかしくなる場合が多いので、注意した方がいいと思う。

 唄えないくらい位で、ごたごたするな!

 変な言い方かもしれないが、人生長いんだから、
 それで社会人として成り立たないというのはありえない。
 
 特に、学校、幼稚園の社会は、よく考えると、特殊。
 学校などの社会性というのは、一般社会的にはどうなのかといのがよくある。
 同年齢ばかり集めている。一般社会の中で同年齢ばかりというのはない。ありえない。
 一般社会というのは、全部異年齢。だから、経験が違ったり、違うのが当たり前なのに、
 学校では、違いがあってはいけないとなっている。

 同じ年齢を集めた方が、一斉指導がしやすいから、そうなっている。
 あと、同じことができるはずだという前提のもと集められているから、競争が働いている。
 5才と15才がいっしょにいて、下に向かって
 「俺できるぜ」とは、恥ずかしくて言えない。
 異年齢の集団の中では、そんなことは当たり前のことで、
 できるできないというのは、どうってことない

 しかし、同年齢のなかでは、そのことがとても際立つ
 そういうしつらえに学校はなっている。

 本人や先生の好まざるに関わらず、
 そういう特殊な環境の中にいると親は把握していたほうがいい。
 一般社会は、違うから。学校の中で、できるできないは大したことではない。

 そのなかで、問題視され、自信を徹底的に奪われて、
 それで、社会に対して、向き合う勇気を奪われていくことはあるかもしれない


 学校のもっている集団と社会の持っている集団は異質です。

 むしろ、地域の中に、子どものいる場所、
 遊び場なんかは完全な異年齢なので、そっちのほうが社会に近い
 
 そっちで、人間関係をきたえる方がよい。
 歌が歌えないなんて、まったく問題ない。ハッハッハッ!


 次は、いよいよ最終回です。
 テーマは、「竹とんぼ教室と竹とんぼ遊びの違い」です。


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Posted by 八日市に冒険遊び場を作る会 at 00:38 │Comments( 0 ) 遊育講演会 報告
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