2008年11月29日    日本初の常設のプレーパークの誕生の話

 天野さんの講演の内容を報告、
10回シリーズの第2回目は、「日本初の常設のプレーパークの誕生」です。

冒険遊び場・講演会 「遊びは生きる力だ!」より、

 前回報告したご夫妻が中心になって動き出して、このイギリスの冒険遊び場を知ったわけですが、日本にいま必要なのはまさにこういう環境じゃないかと、自分の子どもの通う幼稚園や学校のPTAに声をかけ、こういう遊び場をつくらないかと話をしていった。そうすると、そこにみえる遊び場は、公園の専門家の人たちがつくったようなきれいに整えられている遊び場とはちがうので、これだったら、素人だってつくれるし、面白そうだという親たちが集まって、日本の中で、35年前に最初に作られたわけです。

 これが、世田谷経堂で立ち上げられた遊び場です。夏休みだけでしたが、それをやったことで、子どもの反応がすごく良かった。実は、その夏は、用水路を埋め立てた場所を上にコンクリートをのせた一角をかりたところでやったんですが、その幅は100mくらいの一角です。その後、その場所は、整理するために、封鎖しないといけない予定だったんですが、子どもがやめないでと親たちの間を説得して歩いた。当時、子どもの権利条約もいわれてないので、子どもの表明権は一言もありませんが、子どもがやめないでくれと、運営にあたっていた親たちを説得したことが、これはやめられないということとなり、次の場所探しに動いて、住民たちの手で、15ヶ月、毎日空けるという遊び場づくりに挑戦していったわけです。

 ここまでは、住民だけで行われた遊び場です。15ヶ月、毎日あけるというのは、並大抵のことではない。毎日人が誰かがいるわけ。これは大変なこと。身体を拘束されることもあるし、運営資金を捻出することも自分たちで、バザーや廃品回収で作り出していて、行政の支援は全くなかった時代です。それでも15ヶ月やったというのが実績となって、1979年、この年は国際児童年の年だったのですが、世界中で子どものことをもっと考えようと国連が決議した年。世田谷でも子どものための何か記念事業ができないかと思っていたのが、まだ何をやるか決めていないのを住民が目をつけて、いっしょにやりませんかと投げかけた。行政の人たちからすると、冒険遊び場というのは、ちょっと腰がひけるというか、役所にとって一番やっかいなことは責任の問題。何か起こったときの責任追及というものが、あたりまえのようにあったので、こういうことは引き受けたくないという思いはあるが、住民がこれまでやってきた3年半の歴史・実績が行政を動かす。行政の中にもこの実績を評価する人もいたから、行政の中で調整する人がいたのが、きっかけとなって、住民と行政の協働事業として、羽根木プレーパークというのが常設された。これが、日本で初めての常設のプレーパークが誕生したわけです。

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 住民の手づくりではじまった遊び場づくり
   責任をもって運営した実績が、事業化につながった


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 今でも、場所と資金は行政が担う。けれど、運営そのものは住民が責任を持って担う。ここで起こることについては、住民が全て責任をもって解決を担うということをこの30年間やり続けていることが、それが行政との信頼感を得ている。つまり、やってくれではなくて、いっしょにやろうなんです。やってくれといわれると、行政ではつくれない。何かがが起こったときの責任問題など、行政だけでは限界がある。それを住民がやっているということで、冒険遊び場は、運営できているのです。

(つづく)
次は、「遊び場での大人の居方」です。
 


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Posted by 八日市に冒険遊び場を作る会 at 20:52 │Comments( 0 ) 遊育講演会 報告
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