2008年11月28日 冒険遊び場の起源
これから10回に分けて、天野さんの講演の内容を報告します。
まず、第1回目は、「冒険遊び場の起源」です。
冒険遊び場・講演会 「遊びは生きる力だ!」より、
冒険遊び場の起源としては、世田谷が最初ですが、モデルにしたところがあります。それは、ヨーロッパ。今から35年前に、一組の夫婦が子育てをしていて、5歳と7歳の子どもがいました。自分たちの遊んだころと我が子の遊んでいる様子があまりにもちがうのに疑問をもったのがきっかけ。その方達は、田舎のほうで育ったのでなおさらですが、35年前にその年齢なので、今は40歳を越えていますが、世田谷の都市部では、40年前には、そんな風にちがうと、思われていた状況がありました。
その方たちが、すごかったのは、子どもの遊びが違うと、最近の子どもは遊べなくなったと遊べなくなったという。ところが、この夫婦はそう思わなかった。子どもの遊ぶ環境に何か変化が起こっているのではないか。子どもの遊ぶ環境がおかしくなったと考えた。この視点というのは、全然違って、子どもが遊べなくなったと思うと子どもを何とかしないといけない。そうすると、大人は子どもをいじくりまわす。こどもの遊び環境がおかしくなったと考えると、環境を何とかしようとするわけです。いじくらねばいけないのは、環境と考えるわけです。面白い場所をいかに生み出していくか。子どもはそうすれば勝手に遊んでいる。子どもの遊び方が変わったのではなく、日々がつまらなくなったから遊ばない。単純な話。冒険遊び場というのは、その名のとおり、冒険ですが、もともとこれが始まったのは、1943年までさかのぼります。
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最近の子どもは遊べなくなった(×) ⇒だと 子どもを何とかしないといけない(×)
子どもの遊ぶ環境に異変がおこった(○) ⇒だと 環境をなんとかしないといけない(○)
面白い場所があると、子どもは勝手に遊ぶ。
日々がつまらないから遊ばないのだ。
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この頃は、第二次世界大戦の最中。ところは、デンマーク。北欧です。そのデンマークで子どもの遊び場を設計していた人が、子どもの遊びを観察していると、大人が計画した遊び場よりも、大人が遊んではいけないといっている工事現場や資材置き場の方が、はるかにいきいき遊んでいるのを発見しました。だから、そういう遊び場をつくったらいいんじゃないかと、廃材を転がした遊び場を作った。金づちを置いたりして、トンカントンカンやったりしていた。そうすると、危険な部分もあり、怪我をしたりすることもあるので、安全を考えて、何か起こったときの対応のために、ひとり大人を配置したのです。ところが、その配置された大人が、子どもと絶妙にやりくりする力に長けていた。子どものすることをじゃましない。うえに、うまくサポートしていた。この絶妙なやりとりができる人間であったから、子どもだけでは、出来ない遊び場がうまれていった。それが発見であった。最初から意図したことではないのですが、大人の力が加わることによって、子どもだけでは成しえないことまでができる。しかも、大人が遊び心を高めていくことが出来るとがわかったことによって、冒険遊び場ということとプレーリーダーとセットで語られるようになった。
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何かおこった対応のために大人がいた。
うまくサポートすることで、子どもだけでは出来ない遊びが出来たという発見。
遊び心を誘い出す大人 = プレーリーダーの誕生
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冒険遊び場とプレーリーダーとの考え方が飛躍的に発展していくのが、イギリス。最初に作られたのが、ロンドン。ナチスドイツの攻撃によって町全体が破壊されていた。で、ロンドンで一番最初に作られた、まさにその攻撃にあった建物そのものを開放された。石の文化でガレキの建物。くずれていて空が見えていたりなど、攻撃をうけていたので、非常に危ないものだったが、あまり片付けていなくて、そんな状態のところを遊び場として解放したのが、第1号です。いま、世間でよくいわれている安全安心の発想とはちがい、冒険遊びというのは違う。つまり、子どものやってみたいというのは、かなり挑戦的なものなんだ。そこには、リスクがつきまとう。このリスクそのものが子どもにとっては非常に豊かな体験になっていくんだという考えに基づいているわけです。だから、危険なことということを含めて、冒険遊び場では保障していこうと考えてやっています。世田谷でもその考え方を引き続いてやっています。現代では、ロンドンの廃墟を作ることができないので、まだまだおとなしめな遊び場ですが、30年やってきました。
つづく。次は、「日本初の常設のプレーパークの誕生」です。
まず、第1回目は、「冒険遊び場の起源」です。
冒険遊び場・講演会 「遊びは生きる力だ!」より、
冒険遊び場の起源としては、世田谷が最初ですが、モデルにしたところがあります。それは、ヨーロッパ。今から35年前に、一組の夫婦が子育てをしていて、5歳と7歳の子どもがいました。自分たちの遊んだころと我が子の遊んでいる様子があまりにもちがうのに疑問をもったのがきっかけ。その方達は、田舎のほうで育ったのでなおさらですが、35年前にその年齢なので、今は40歳を越えていますが、世田谷の都市部では、40年前には、そんな風にちがうと、思われていた状況がありました。
その方たちが、すごかったのは、子どもの遊びが違うと、最近の子どもは遊べなくなったと遊べなくなったという。ところが、この夫婦はそう思わなかった。子どもの遊ぶ環境に何か変化が起こっているのではないか。子どもの遊ぶ環境がおかしくなったと考えた。この視点というのは、全然違って、子どもが遊べなくなったと思うと子どもを何とかしないといけない。そうすると、大人は子どもをいじくりまわす。こどもの遊び環境がおかしくなったと考えると、環境を何とかしようとするわけです。いじくらねばいけないのは、環境と考えるわけです。面白い場所をいかに生み出していくか。子どもはそうすれば勝手に遊んでいる。子どもの遊び方が変わったのではなく、日々がつまらなくなったから遊ばない。単純な話。冒険遊び場というのは、その名のとおり、冒険ですが、もともとこれが始まったのは、1943年までさかのぼります。
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最近の子どもは遊べなくなった(×) ⇒だと 子どもを何とかしないといけない(×)
子どもの遊ぶ環境に異変がおこった(○) ⇒だと 環境をなんとかしないといけない(○)
面白い場所があると、子どもは勝手に遊ぶ。
日々がつまらないから遊ばないのだ。
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この頃は、第二次世界大戦の最中。ところは、デンマーク。北欧です。そのデンマークで子どもの遊び場を設計していた人が、子どもの遊びを観察していると、大人が計画した遊び場よりも、大人が遊んではいけないといっている工事現場や資材置き場の方が、はるかにいきいき遊んでいるのを発見しました。だから、そういう遊び場をつくったらいいんじゃないかと、廃材を転がした遊び場を作った。金づちを置いたりして、トンカントンカンやったりしていた。そうすると、危険な部分もあり、怪我をしたりすることもあるので、安全を考えて、何か起こったときの対応のために、ひとり大人を配置したのです。ところが、その配置された大人が、子どもと絶妙にやりくりする力に長けていた。子どものすることをじゃましない。うえに、うまくサポートしていた。この絶妙なやりとりができる人間であったから、子どもだけでは、出来ない遊び場がうまれていった。それが発見であった。最初から意図したことではないのですが、大人の力が加わることによって、子どもだけでは成しえないことまでができる。しかも、大人が遊び心を高めていくことが出来るとがわかったことによって、冒険遊び場ということとプレーリーダーとセットで語られるようになった。
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何かおこった対応のために大人がいた。
うまくサポートすることで、子どもだけでは出来ない遊びが出来たという発見。
遊び心を誘い出す大人 = プレーリーダーの誕生
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冒険遊び場とプレーリーダーとの考え方が飛躍的に発展していくのが、イギリス。最初に作られたのが、ロンドン。ナチスドイツの攻撃によって町全体が破壊されていた。で、ロンドンで一番最初に作られた、まさにその攻撃にあった建物そのものを開放された。石の文化でガレキの建物。くずれていて空が見えていたりなど、攻撃をうけていたので、非常に危ないものだったが、あまり片付けていなくて、そんな状態のところを遊び場として解放したのが、第1号です。いま、世間でよくいわれている安全安心の発想とはちがい、冒険遊びというのは違う。つまり、子どものやってみたいというのは、かなり挑戦的なものなんだ。そこには、リスクがつきまとう。このリスクそのものが子どもにとっては非常に豊かな体験になっていくんだという考えに基づいているわけです。だから、危険なことということを含めて、冒険遊び場では保障していこうと考えてやっています。世田谷でもその考え方を引き続いてやっています。現代では、ロンドンの廃墟を作ることができないので、まだまだおとなしめな遊び場ですが、30年やってきました。
つづく。次は、「日本初の常設のプレーパークの誕生」です。
Posted by
八日市に冒険遊び場を作る会
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12:41
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遊育講演会 報告